月刊誌「みにむ」1997年6月号
1.はじめに
「何で今ごろあのようなこわい国に行くのか、また行ったのか」と何十人もの方々から質問を受けた。
パリで編集し、衛星で送られた内容が東京で印刷されている「ヘラルド・トリビューン」という日刊の英字新聞と、ロンドンで編集され、衛星で送られた内容がホンコンで印刷された週刊の英文雑誌「エコノミスト」は、どちらも世界中同じ内容だが、ここ数ヵ月間、この国のことが出ていないことがない。
もちろん英語版の週刊誌「タイム」や「ニューズウィーク」の各アジア版にはここ数ヵ月毎号この国の記事が掲載され、最近では記事の分量がだんだん増えてきた。
特集記事すら出始めた。
日本の新聞やテレビもシリーズで「食糧危機」「経済危機」「国家の破綻」を問題にしはじめた。
「何でこの時期にそのような国に行くのか」
と多くの方々がご心配下さったのも十分理解できる。
視察シリーズ第3回目の今回はその朝鮮民主主義人民共和国からの報告である。
(お読みになりやすいように今回はQ&A方式で書かせて頂く。)
2.「普通の国にならざるを得ない朝鮮民主主義人民共和国」
Q1.どのような経緯で行くことになったのですか。
A.私の尊敬する高井伸夫法律事務所の高井伸夫先生から訪問団を組織したので行かないかとお誘いを受け、私も非常に関心があったので同行させて頂きました。
29名の訪問団でした。
Q2.いつごろどこから行ったのですか。
A.今年のゴールデンウィークの始まりの4月28日(月)から5月3日(土)までの5泊6日の日程でした。
130名乗りのコリョ航空機を使い、名古屋空港からピョンヤン順安空港まで2時間15分の空の旅でした。
この国と日本には航空協定があり、一年に20便のチャーター便が日本の空港からピョンヤンまで行くことになっているそうです。
ただ近年は、ゴールデナンウィークやお盆中などを中心に年に10便位しか直行のチャーター便は出ていないそうです。
Q3.どんなところに泊りましたか。
また、あちこち行くのは自由でしたか。
カメラやビデオの撮影は自由でしたか。
A.宿泊はその国で一番よい外国人用のホテルでした。
ベッドルームの他に書斎や居間、トイレが入口とベッドルームの奥と二つもついている広々とした部屋でした。
日本にも自由に電話やファックスができました。
外出は全く自由でした。
ピョンヤン市内ならどこへでも自由に行けました。
ただ、ハングル文字が読めず、また、ハングル語が使えないと迷子になった時困るので、外出は二人以上でするように注意を受けました。
朝5時から一人で街を散歩した方もおられました。
カメラやビデオでの撮影は全く自由でした。
何の制約も受けませんでした。
NHKのアナウンサーの高井真理子さんとTBS系の番組制作会社の方も同行なさっておられましたが、お二人ともずっと小型ビデオをまわしておられました。
Q4.街の様子はどうでしたか。
A.人口300万人といわれるピョンヤン市内は1959年の朝鮮戦争でほとんど廃墟となった後、建設された都市なので広い道路で緑豊かな整然とした美しい街並でした。
一階がお店の高層アパートが林立している様子には驚きました。
路上生活者や、物乞いの人、物売りの人は一人も見られない、ゴミ一つ落ちていない清潔感あふれる都市でした。
核シェルターにも使われるという地下100mのところを走る地下鉄にも乗りました。
シャンデリアの光かがやく素晴らしい駅構内でした。
少し混雑していた地下鉄内では小学生に席を譲られその親切に感じ入りました。
広い通りなのに乗用車はベンツが何台か走っているだけでした。
乗用車は政府関係の人しか利用しないようです。
自転車やオートバイはほんの数台しか5日間で見ませんでした。
人々はピョンヤン市内では地下鉄とトロリーバスとバスを利用して、市外ではバスとトラックの荷台を利用して移動。
あとはすべて徒歩。
みんなテコテコ歩いていました。
となり町へ行くのにも歩いていました。
バス利用の訪問者である我々ですら、1日1.5万歩平均歩きましたので、おそらく、ほとんどの国民が毎日1万歩以上は歩いていると思いました。
Q5.人々はどんなものを身に付け、また、食べていましたか。
A.我々は訪問団なので、食べ物は十二分に出されました。
こんなぜいたくなものを口にしてはこの国の人に申し訳ないと思われるようなものが毎食出されました。
ただ、口をつけたものを残しては、国情を考えると申し訳ないと思いまして口をつけたものはなるべく全部食べるようにしましたら、2㎏も体重が増えてしまいました。
普通の人々がなにを食べているかは実際よくわかりませんでした。
メイ・デーの5月1日に公園に行きましたが、サンドウィッチやおにぎりのようなものと簡単な果物と水をもって、ピクニックをしていた人が多かったように思えます。
ただよくよく聞いていくと、その公園に来られるような人々は非常によい方で、一日一食の人が多いとお聞きしました。
子供の顔や身体つきも年齢にしては2~3才小さいような気もしました。
どこへ行ってもみなこざっぱりしたものを身に付けておられました。
ただ衣服の材質は余りよくないようでした。
革の靴はフォーマルの時で普段はズックの靴を身に付ける人が多いようでした。
物は月2回配られる配給切符を持っていくと売ってくれるようです。
食べ物の配給が随分と少くなっているとお聞きしました。
みんなでデパートに行って来ました。
大体のものはそこで買えるようですが、月収で日本円にして5000~9000円の方が多いとお聞きしていましたので、その収入では余り買えるものがないのではと思いました。
女性用のひざ上までのストッキングが15ウォン(約900円)もするのには驚きました。
私は外国に行くと宿泊先のホテルでよく床屋さんに行きますが、ピョンヤンのホテルでは15ウォン(約900円)でした。
約1時間かけていねいにピョンヤン・カットをして下さいました。
(ホテル以外では10分の1以下の価格だとお聞きしました。)
2011年6月25日土曜日
2011年6月24日金曜日
スペインで考えたこと
月刊誌「みにむ」1997年5月号
1.はじめに
「ラテン気質」のスペイン人は、遊ぶことのみ大好きで、仕事をすることは大嫌い。
昼は長く休み、夜ふかしが大好きー。
以上のようなことをたびたび聞かされ、だからスペインやラテン系の国々が貧しく、また、失業者も多いと思う方が多いと言われているようです。
果たして、本当にそうなのか。
今回は、「視察シリーズ」の第2回目で、スペインからの報告です。
2.「普通の国」になりつつあるスペイン
①スペインの首都マドリッドの郊外は、現在、いわゆる「ニュータウン」の建設ラッシュ。
整然と都市計画をされた「ニュータウン」の中に、ショッピング・センター、学校、病院、商店街、アパートや一戸建の住宅が、数多くつくられつつあります。
友人の医師マルガリータさんの家を訪れると、弟夫婦と両親夫婦との2世帯住宅で、シンメトリー(左右対称)のプール付の住宅。
地階がガレージ兼仕事場、1階は応接室、台所とテラスに続く居間。
2階は4ベッドルーム。
3階は左右に大きな窓とサンルーフの二つ付いた屋根裏部屋。
片方の家だけでも、トイレが6ヵ所も付いた行き届いた設計。
「ホー」っとため息が出てしまいました。
こんな家が街中いたるところに見られるのが、最近出来つつあるニュータウンのようです。
②マドリッドの国際便の飛行場は、午前7時すぎには免税店もすべてオープン。
「ここはシンガポールか」と感違いするほど数多くの真新しい免税店がプランド品を山のようにとりそろえて観光客を待っていました。
少し大きな街には、スーパーマーケットがあり、「シェスタ」と呼ばれる昼休みの時間も気にせずオープン。
買い物客でにぎわっていました。
③マドリッドからセルビアまでは、日本の新幹線よりも速くて、はるかに乗り心地のよい『AVE』が、時刻通り発車し、時刻通り到着。
何回も乗ったバスや列車も、定刻ピシャリと出発し、列車は定刻ピシャリ、バスも必ず目的地に4~5分前には到着。
日本の鉄道やバスと時間の正確さでは全く変りありませんでした。
駅のデザインや色使い、列車の色使いは、さすがピカソや数多くの芸術家の出た国とあって、斬新で、美的感覚にあふれたものでした。
日本の交通機関も学ぶところ大であると思いました。
④以前は日本人でスリや泥棒に会わない人はラッキーだ、と言われたスペインですが、最近は北アフリカからの出かせぎの人々を締め出しているため、治安が大幅に向上。
用心にこしたことはないが、かなり安心して旅行できる国にスペインもなった、と評判になるほど。
⑤街の景観、特に歴史的な建物を保存しようという執念は、尊敬に値します。
中世の三つの大学の一つに数えられる「サラマンカ大学」を訪れた時は、このゴチック建築の教会や、その続きの建物がサラマンカ大学だと言われ、一体どこで勉強するのかと不思議な思いをしましたが、中に入って、日本やアメリカのどこにでもあるような教室や事務室があるのに感激した。
要は、外側をそっくり残し、内側だけ使いやすいように現代的にしてるのでした。
全て壊し、全て新しくするのが日本の方法だが、屋根も含めて外側は全て残し、内側を全て変えるのがスペインのやり方。
あちこちで随分とこの方法を見ました。
*歴史的な建築物の保存について興味のある方は、スペインの国営ホテル・チェーンである「パラドール」の会員になり、「サモーウ」「トレド」「レオン」など各地の「パラドール」に宿泊することをおすすめします。
教会や修道院・古城をホテルとして活用しているからです。
景観や、歴史的な建物を生かした建築に興味のある方も、一度はスペインに行かれると、これまた目が開かれるかもしれません。
街の色を一つのトーンでまとめると、これほど美しくなるのかという一つのモデルがスペインにもあります。
⑥「あなたは何をやっていますか」
と聞かれたので、
「日本で学習塾といわれるものをやっています。
生徒は昨年のピークの時で3175名いました。
今年の春には、21名の先生を採用しています。
職員は全部で150名余りいます」
と説明すると、
「そんなに人を雇っている経営者なら、それだけですばらしい。
あなたのような人がこの街にもう10名もいたら、この街の経営はもっともっとよくなる。
失業者も減る」
と言われました。
24%の失業率までいったスペインでは、自分の就きたい仕事に就くことが困難な場合が多いようです。
先日亡くなった鄧小平氏が、91年に上海で行った「黒いネコも白いネコもネズミをとるネコはみんなよいネコ」という演説を、現代スペインにおきかえると、「どんな会社でも(社長さんでも)、人を採用する会社(社長さん)はよい会社(社長さん)」となるようです。
⑦今回のスペイン視察の最大の目標は、産業の空洞化、産業構造の大転換が迫られる日本、とりわけ大工業地帯である北関東にとり、125円になっても超円高と世界最高水準の賃金のもとで、失業問題は避けて通れないと考えるので、失業率が20%を超えて久しいスペインは、一体何が原因で高失業率の国になってしまったのか、
それに対しどのような短期的な取り組みと長期的な取り組みを国と個人はしているのか、更には、自分の仕事である教育サービス業はどうなっているのか、高失業率の国でも盛んなサービス業は何なのか、などを考えるきっかけを得るためでした。
問題が大きく、また広いので1回や2回の視察ではとても結論を出せるようなことではないとは思うが、これからもスペインを「ベンチ・マーキング」し続け、
「①継続的なデーターの集積と②科学的な思考を駆使した観察から分析へ、そして判断を下すという思考手順、この二つの経験を積み重ね」(注1)
ることにより、テーマに迫ろうと思います。
⑧ただ、大雑把に言えることは、こと失業問題だけについていえば、あの独裁者といわれるフランコ氏の時はよかったけれども、その後の政治的な混乱、とりわけ産業政策にうとかった政権のおかげで失業に苦しむ人が多く出たこと。
最近は、EU諸国と同じ仕事ぶりをしないとありとあらゆるところで遅れをとり、またサービスや治安が悪いとドイツやアメリカからの観光客も来てくれないので、政府や産業界が中心となって仕事の質的向上に全力でとり組んでいるようです。
これに99年の欧州通貨統合にむけて、インフレ率や失業率を低め国の力を強くしようというスベイン始まって以来の努力が少しずつ実り、バルセロナ市郊外のニュータウン建設ラッシュや朝早くから始まる免税店、シェスタのないショッピングセンター、時間に正確な電車やバス、どろぼうやスリの減った街中が実現しつつあると思います。
大事なことは、政治や社会のトップに立つ人が、高い目標を揚げて人々を引っぱり続けること。
その目標が人々の日々の生活を良くすること、国の力を高めることにつながると思ったらみんなで協力することではないかと思います。
⑨過日、「栃木県経済同友会国際問題委員会日米欧部会」で会の委員長である板橋敏夫足利商工会議所会頭から、「イタリアのコモ市の繊維産業」の隆盛ぶりをお聞きした。
もし、足利市や両毛各市にとって「コモ市」が非常に参考になり、学ぶところが多いなら、商工会や商工会議所、市町村が街をあげて「コモ市」を「ベンチ・マーキング」させて頂き、取り入れるべき精神はどんどん取り入れさせてもらうべきだと思います。
時代は光のようなスピードで進んでいます。
世界中にアンテナを張りめぐらして、参考になるところがあれば、よいリーダーのもと、一丸となって視察に訪れ、積極的に取り入れる。
ゴルフや趣味に使うお金とヒマがあったら5年後、4年後の我が社と我が街のために視察に訪れることをおすすめします。
私も近いうちにぜひ訪れたく思いますが、繊維関係の方で自分の会社や我が街の将来を本気で考える人は、自社の取り扱い分野を扱っているアジアの国のいくつかと、イタリアの「コモ市」を訪問し続けると「活路」を見い出せるかもしれない。
日本は世界を相手にして仕事をしているのだから、地元にばかりいて嘆いていても物事は一歩も進まない。
座して死を待つよりは、パスポートが出入国のハンコでいっぱいになるまで視察をし続けて下さい。
⑩失業者の多いスペインで人々が習いたいものは、「英語とコンピューター」でした。
「英語とコンピューター」をマスターするビジネススクールは、ここスペインでも大はやりでした。
21世紀を迎え、就職を勝ちとるためには、また、ビジネスを効率よく進めるためには、英語とコンピューターが手足のように使いこなせなければならないようです。
3.おまけ-本の御紹介
①「ストア・コンパリゾン(店舗見学のコツ)」渥美俊一・桜井多恵子共著、実務教育出版・平成8年2月20日刊1800円。
*「視察の仕方」を省いた、おそらく日本で最初の体系書(テキスト・教科書)。
店舗、つまりお店の見学に限らず、様々な視察にいくらでも応用できる内容。
故に、視察を職業にする人(市町村長、国会および地方議会議員、国家公務員、地方公務員、営利・非営利を問わず会社や団体の幹部職員、PTAや自治会で視察に行く人々等々)にも参考になります。
*ただ一番参考になるのは、小売・卸・問屋・他の純料サービス業を問わず「サービス業」に従事している人です。
「世界一になれた理由は、誰よりも店舗見学を数多くしているからだ」と世界一の小売業ウォル・マートの創業者サム・ウォルトン氏もおっしゃった、その店舗見学の具体的な方法が書かれています。
私はこの渥美先生と桜井先生のお二人の先生を尊敬しているので、何十回もセミナーに出、本も何十冊も読ませていただきました。
日本中で誰よりも多く、日本やアメリカの店舗視察をお続けなのが、このお二人ですので、視察をなさる方の必読書としておすすめ致します。
②注1は、この本の「まえがき(2)」XIからの引用です(桜井恵子著の部分です)。
③来月号は、「朝鮮民主主義人民共和国」からの報告の予定です。
*スペインには、サラマンカ大学の視察も含めて、大学関係者と出かけてきました。
1.はじめに
「ラテン気質」のスペイン人は、遊ぶことのみ大好きで、仕事をすることは大嫌い。
昼は長く休み、夜ふかしが大好きー。
以上のようなことをたびたび聞かされ、だからスペインやラテン系の国々が貧しく、また、失業者も多いと思う方が多いと言われているようです。
果たして、本当にそうなのか。
今回は、「視察シリーズ」の第2回目で、スペインからの報告です。
2.「普通の国」になりつつあるスペイン
①スペインの首都マドリッドの郊外は、現在、いわゆる「ニュータウン」の建設ラッシュ。
整然と都市計画をされた「ニュータウン」の中に、ショッピング・センター、学校、病院、商店街、アパートや一戸建の住宅が、数多くつくられつつあります。
友人の医師マルガリータさんの家を訪れると、弟夫婦と両親夫婦との2世帯住宅で、シンメトリー(左右対称)のプール付の住宅。
地階がガレージ兼仕事場、1階は応接室、台所とテラスに続く居間。
2階は4ベッドルーム。
3階は左右に大きな窓とサンルーフの二つ付いた屋根裏部屋。
片方の家だけでも、トイレが6ヵ所も付いた行き届いた設計。
「ホー」っとため息が出てしまいました。
こんな家が街中いたるところに見られるのが、最近出来つつあるニュータウンのようです。
②マドリッドの国際便の飛行場は、午前7時すぎには免税店もすべてオープン。
「ここはシンガポールか」と感違いするほど数多くの真新しい免税店がプランド品を山のようにとりそろえて観光客を待っていました。
少し大きな街には、スーパーマーケットがあり、「シェスタ」と呼ばれる昼休みの時間も気にせずオープン。
買い物客でにぎわっていました。
③マドリッドからセルビアまでは、日本の新幹線よりも速くて、はるかに乗り心地のよい『AVE』が、時刻通り発車し、時刻通り到着。
何回も乗ったバスや列車も、定刻ピシャリと出発し、列車は定刻ピシャリ、バスも必ず目的地に4~5分前には到着。
日本の鉄道やバスと時間の正確さでは全く変りありませんでした。
駅のデザインや色使い、列車の色使いは、さすがピカソや数多くの芸術家の出た国とあって、斬新で、美的感覚にあふれたものでした。
日本の交通機関も学ぶところ大であると思いました。
④以前は日本人でスリや泥棒に会わない人はラッキーだ、と言われたスペインですが、最近は北アフリカからの出かせぎの人々を締め出しているため、治安が大幅に向上。
用心にこしたことはないが、かなり安心して旅行できる国にスペインもなった、と評判になるほど。
⑤街の景観、特に歴史的な建物を保存しようという執念は、尊敬に値します。
中世の三つの大学の一つに数えられる「サラマンカ大学」を訪れた時は、このゴチック建築の教会や、その続きの建物がサラマンカ大学だと言われ、一体どこで勉強するのかと不思議な思いをしましたが、中に入って、日本やアメリカのどこにでもあるような教室や事務室があるのに感激した。
要は、外側をそっくり残し、内側だけ使いやすいように現代的にしてるのでした。
全て壊し、全て新しくするのが日本の方法だが、屋根も含めて外側は全て残し、内側を全て変えるのがスペインのやり方。
あちこちで随分とこの方法を見ました。
*歴史的な建築物の保存について興味のある方は、スペインの国営ホテル・チェーンである「パラドール」の会員になり、「サモーウ」「トレド」「レオン」など各地の「パラドール」に宿泊することをおすすめします。
教会や修道院・古城をホテルとして活用しているからです。
景観や、歴史的な建物を生かした建築に興味のある方も、一度はスペインに行かれると、これまた目が開かれるかもしれません。
街の色を一つのトーンでまとめると、これほど美しくなるのかという一つのモデルがスペインにもあります。
⑥「あなたは何をやっていますか」
と聞かれたので、
「日本で学習塾といわれるものをやっています。
生徒は昨年のピークの時で3175名いました。
今年の春には、21名の先生を採用しています。
職員は全部で150名余りいます」
と説明すると、
「そんなに人を雇っている経営者なら、それだけですばらしい。
あなたのような人がこの街にもう10名もいたら、この街の経営はもっともっとよくなる。
失業者も減る」
と言われました。
24%の失業率までいったスペインでは、自分の就きたい仕事に就くことが困難な場合が多いようです。
先日亡くなった鄧小平氏が、91年に上海で行った「黒いネコも白いネコもネズミをとるネコはみんなよいネコ」という演説を、現代スペインにおきかえると、「どんな会社でも(社長さんでも)、人を採用する会社(社長さん)はよい会社(社長さん)」となるようです。
⑦今回のスペイン視察の最大の目標は、産業の空洞化、産業構造の大転換が迫られる日本、とりわけ大工業地帯である北関東にとり、125円になっても超円高と世界最高水準の賃金のもとで、失業問題は避けて通れないと考えるので、失業率が20%を超えて久しいスペインは、一体何が原因で高失業率の国になってしまったのか、
それに対しどのような短期的な取り組みと長期的な取り組みを国と個人はしているのか、更には、自分の仕事である教育サービス業はどうなっているのか、高失業率の国でも盛んなサービス業は何なのか、などを考えるきっかけを得るためでした。
問題が大きく、また広いので1回や2回の視察ではとても結論を出せるようなことではないとは思うが、これからもスペインを「ベンチ・マーキング」し続け、
「①継続的なデーターの集積と②科学的な思考を駆使した観察から分析へ、そして判断を下すという思考手順、この二つの経験を積み重ね」(注1)
ることにより、テーマに迫ろうと思います。
⑧ただ、大雑把に言えることは、こと失業問題だけについていえば、あの独裁者といわれるフランコ氏の時はよかったけれども、その後の政治的な混乱、とりわけ産業政策にうとかった政権のおかげで失業に苦しむ人が多く出たこと。
最近は、EU諸国と同じ仕事ぶりをしないとありとあらゆるところで遅れをとり、またサービスや治安が悪いとドイツやアメリカからの観光客も来てくれないので、政府や産業界が中心となって仕事の質的向上に全力でとり組んでいるようです。
これに99年の欧州通貨統合にむけて、インフレ率や失業率を低め国の力を強くしようというスベイン始まって以来の努力が少しずつ実り、バルセロナ市郊外のニュータウン建設ラッシュや朝早くから始まる免税店、シェスタのないショッピングセンター、時間に正確な電車やバス、どろぼうやスリの減った街中が実現しつつあると思います。
大事なことは、政治や社会のトップに立つ人が、高い目標を揚げて人々を引っぱり続けること。
その目標が人々の日々の生活を良くすること、国の力を高めることにつながると思ったらみんなで協力することではないかと思います。
⑨過日、「栃木県経済同友会国際問題委員会日米欧部会」で会の委員長である板橋敏夫足利商工会議所会頭から、「イタリアのコモ市の繊維産業」の隆盛ぶりをお聞きした。
もし、足利市や両毛各市にとって「コモ市」が非常に参考になり、学ぶところが多いなら、商工会や商工会議所、市町村が街をあげて「コモ市」を「ベンチ・マーキング」させて頂き、取り入れるべき精神はどんどん取り入れさせてもらうべきだと思います。
時代は光のようなスピードで進んでいます。
世界中にアンテナを張りめぐらして、参考になるところがあれば、よいリーダーのもと、一丸となって視察に訪れ、積極的に取り入れる。
ゴルフや趣味に使うお金とヒマがあったら5年後、4年後の我が社と我が街のために視察に訪れることをおすすめします。
私も近いうちにぜひ訪れたく思いますが、繊維関係の方で自分の会社や我が街の将来を本気で考える人は、自社の取り扱い分野を扱っているアジアの国のいくつかと、イタリアの「コモ市」を訪問し続けると「活路」を見い出せるかもしれない。
日本は世界を相手にして仕事をしているのだから、地元にばかりいて嘆いていても物事は一歩も進まない。
座して死を待つよりは、パスポートが出入国のハンコでいっぱいになるまで視察をし続けて下さい。
⑩失業者の多いスペインで人々が習いたいものは、「英語とコンピューター」でした。
「英語とコンピューター」をマスターするビジネススクールは、ここスペインでも大はやりでした。
21世紀を迎え、就職を勝ちとるためには、また、ビジネスを効率よく進めるためには、英語とコンピューターが手足のように使いこなせなければならないようです。
3.おまけ-本の御紹介
①「ストア・コンパリゾン(店舗見学のコツ)」渥美俊一・桜井多恵子共著、実務教育出版・平成8年2月20日刊1800円。
*「視察の仕方」を省いた、おそらく日本で最初の体系書(テキスト・教科書)。
店舗、つまりお店の見学に限らず、様々な視察にいくらでも応用できる内容。
故に、視察を職業にする人(市町村長、国会および地方議会議員、国家公務員、地方公務員、営利・非営利を問わず会社や団体の幹部職員、PTAや自治会で視察に行く人々等々)にも参考になります。
*ただ一番参考になるのは、小売・卸・問屋・他の純料サービス業を問わず「サービス業」に従事している人です。
「世界一になれた理由は、誰よりも店舗見学を数多くしているからだ」と世界一の小売業ウォル・マートの創業者サム・ウォルトン氏もおっしゃった、その店舗見学の具体的な方法が書かれています。
私はこの渥美先生と桜井先生のお二人の先生を尊敬しているので、何十回もセミナーに出、本も何十冊も読ませていただきました。
日本中で誰よりも多く、日本やアメリカの店舗視察をお続けなのが、このお二人ですので、視察をなさる方の必読書としておすすめ致します。
②注1は、この本の「まえがき(2)」XIからの引用です(桜井恵子著の部分です)。
③来月号は、「朝鮮民主主義人民共和国」からの報告の予定です。
*スペインには、サラマンカ大学の視察も含めて、大学関係者と出かけてきました。
2011年6月17日金曜日
インド・香港そして神戸で考えたこと(2)
③香港やシンガポールの一人当りのGDP(国民総生産)はイギリス以上になった。
国の「経済的」発展は、鄧小平氏やリー・カン・ユー氏のような政治家一人の考え方一つで決まってしまうと考えると、非常に興味深い。
今、この文章は、ロンドンに向かう英国航空の中で、シベリアの大地を見ながら書いている。
もし、ゴルバチョフ氏がもっと政治力をもっていて、より完全に国内改革をやり尽げたならば、もし、エリツイン氏の健康状態がもっと正常に近く元気に活動できたら、ロシアの人々の暮らし向きは今の10倍以上は良くなっていたに違いない。
④返還前の香港はバブルのはじける前の東京とそっくり同じだ。
日本円にして2億円、3億円のマンションが飛ぶように売れ、値上がると思われる不動産はどんどん買い、2~3か月後に20~30%値上がればすぐに売り、「利ざや」を稼ぐのが「ビジネス」と思っている人が多い。
いつかはじけることはみんな知っているが、はじけるまでに、儲けるだけ儲けようと必死だ。
どこまで香港の影響を中国が受けるかが問題だ。
一昨年、何回か上海や杭州市に行ったが、郊外を車に乗せてもらい走っていると何万台、いや何十万台もの真っ黒な色をした「耕運機」を軽トラックにした乗り物に出会い驚いた
(数年前にプノンペンに行ったとき、向こうから見たこともない車が砂けむりをあげて追ってくるのを見てびっくりし、よく見たら戦車だったのでもう一度びっくりした覚えがある。
中国の耕運機利用の小型トラックも驚きだ)。
あれだけの台数が黒煙をあげて走りまわって大気はどうかといえば、鼻の中が真っ黒になるのは、ジプニーだらけのマニラや大渋滞のバンコクと全く同じだ。
中国沿海部の超スピードの経済発展は、ジェット気流に乗って日本に公害(酸性雨)をまき散らす原因ともなる。
日本の政府開発援助は中国の公害問題の研究のためにも、より多く使うべきだ。
「金欲」は「物資欲」となってあらわれ、香港の人々のように全中国の人々が経済活動をし始めると、生活レベルは急激に向上するかも知れないが、
日本が味わったのと同じ苦しみを中国国民が味わい、人口が多い分だけ、近くの国に迷惑になる可能性も多い。
⑤インドは人口が約9億人ちょっと。
中国は約12億人ちょっと。
2国を足すと約22億人。
世界の人口はおおよそ56億人と言われているので、インドと中国の二つで世界の40%を占める。
「中国に行くと騙され、インドに行くと病気になる。近寄りがたい国である。まして行ってビジネスをするなど論外。」
というのが日本人の大方の考えかもしれない。
ただ両国とも社会主義とはいえ、市場経済を完全に取り入れ、「規制なし」、「自己費任」、「自助努力」を国是としつつあるので、大発展の可能性がある。
経済的な苦労もしつくしている。世界にむけて21世紀を生きようとする人は、両国を年に1~2度は訪れるべきかと思う。
3.おまけ-そして「神戸」
震災後神戸には5回ほど行き、その復興ぶりを見せて頂いた。
芦屋に友人がお住まいなので励ましに行くのが直接目的であった。
昨日はダイエーの中内功会長から、ポートピアホテルの国際会議場でこけら落しの講演をきいた。
農工社会の続きは「knowledge」つまり「知識」社会が到来する。
知識のネットワークを構築して21世紀を生き抜けとの主旨だ。
「地震対策は」と友人の先生に質問したら、目の高さ以上の所に物は置かないこと、できるだけ押入れの中に物は収納すること、一階建の家に住むこととのご返事だった。
大型・テレビが寝ている奥様の頭のすぐ横まで飛んできたとお聞きしていたので、テレビも押入れの中に入れておき、寝るときにはふすまを閉めた方がよいのですか、とお聞きしたら笑っておられた。
注:
インドには、栃木県経済同友会・アジア部会「インド経済視察団」の一員として参加。
香港には、栃木県経済同友会・新世紀経営研究会「香港経済視察団」の一員として参加。
神戸には、「全国経済同友会セミナー」に参加のため出かけました。
参考文献:
The Ecnomist 3月1日号、23ページ~25ページ「The ASIAN MIRACLE」
-3月7日執筆-
震災のときに一緒にテレビを見ていた中国からの留学生に、「あんなにひどい状態なのに人々はなぜ神戸から歩いてでも逃げ出さないのか」と何回も質問を受けた。
そのときは、「地震は必ずおさまり、全力を上げて復興をするためだ。逃げたら何にもできなくなる」と答えた。
神戸の人々は、よくがんばってたった2年間で街をここまで立て直した。
本当に尊敬に値する。
国の「経済的」発展は、鄧小平氏やリー・カン・ユー氏のような政治家一人の考え方一つで決まってしまうと考えると、非常に興味深い。
今、この文章は、ロンドンに向かう英国航空の中で、シベリアの大地を見ながら書いている。
もし、ゴルバチョフ氏がもっと政治力をもっていて、より完全に国内改革をやり尽げたならば、もし、エリツイン氏の健康状態がもっと正常に近く元気に活動できたら、ロシアの人々の暮らし向きは今の10倍以上は良くなっていたに違いない。
④返還前の香港はバブルのはじける前の東京とそっくり同じだ。
日本円にして2億円、3億円のマンションが飛ぶように売れ、値上がると思われる不動産はどんどん買い、2~3か月後に20~30%値上がればすぐに売り、「利ざや」を稼ぐのが「ビジネス」と思っている人が多い。
いつかはじけることはみんな知っているが、はじけるまでに、儲けるだけ儲けようと必死だ。
どこまで香港の影響を中国が受けるかが問題だ。
一昨年、何回か上海や杭州市に行ったが、郊外を車に乗せてもらい走っていると何万台、いや何十万台もの真っ黒な色をした「耕運機」を軽トラックにした乗り物に出会い驚いた
(数年前にプノンペンに行ったとき、向こうから見たこともない車が砂けむりをあげて追ってくるのを見てびっくりし、よく見たら戦車だったのでもう一度びっくりした覚えがある。
中国の耕運機利用の小型トラックも驚きだ)。
あれだけの台数が黒煙をあげて走りまわって大気はどうかといえば、鼻の中が真っ黒になるのは、ジプニーだらけのマニラや大渋滞のバンコクと全く同じだ。
中国沿海部の超スピードの経済発展は、ジェット気流に乗って日本に公害(酸性雨)をまき散らす原因ともなる。
日本の政府開発援助は中国の公害問題の研究のためにも、より多く使うべきだ。
「金欲」は「物資欲」となってあらわれ、香港の人々のように全中国の人々が経済活動をし始めると、生活レベルは急激に向上するかも知れないが、
日本が味わったのと同じ苦しみを中国国民が味わい、人口が多い分だけ、近くの国に迷惑になる可能性も多い。
⑤インドは人口が約9億人ちょっと。
中国は約12億人ちょっと。
2国を足すと約22億人。
世界の人口はおおよそ56億人と言われているので、インドと中国の二つで世界の40%を占める。
「中国に行くと騙され、インドに行くと病気になる。近寄りがたい国である。まして行ってビジネスをするなど論外。」
というのが日本人の大方の考えかもしれない。
ただ両国とも社会主義とはいえ、市場経済を完全に取り入れ、「規制なし」、「自己費任」、「自助努力」を国是としつつあるので、大発展の可能性がある。
経済的な苦労もしつくしている。世界にむけて21世紀を生きようとする人は、両国を年に1~2度は訪れるべきかと思う。
3.おまけ-そして「神戸」
震災後神戸には5回ほど行き、その復興ぶりを見せて頂いた。
芦屋に友人がお住まいなので励ましに行くのが直接目的であった。
昨日はダイエーの中内功会長から、ポートピアホテルの国際会議場でこけら落しの講演をきいた。
農工社会の続きは「knowledge」つまり「知識」社会が到来する。
知識のネットワークを構築して21世紀を生き抜けとの主旨だ。
「地震対策は」と友人の先生に質問したら、目の高さ以上の所に物は置かないこと、できるだけ押入れの中に物は収納すること、一階建の家に住むこととのご返事だった。
大型・テレビが寝ている奥様の頭のすぐ横まで飛んできたとお聞きしていたので、テレビも押入れの中に入れておき、寝るときにはふすまを閉めた方がよいのですか、とお聞きしたら笑っておられた。
注:
インドには、栃木県経済同友会・アジア部会「インド経済視察団」の一員として参加。
香港には、栃木県経済同友会・新世紀経営研究会「香港経済視察団」の一員として参加。
神戸には、「全国経済同友会セミナー」に参加のため出かけました。
参考文献:
The Ecnomist 3月1日号、23ページ~25ページ「The ASIAN MIRACLE」
-3月7日執筆-
震災のときに一緒にテレビを見ていた中国からの留学生に、「あんなにひどい状態なのに人々はなぜ神戸から歩いてでも逃げ出さないのか」と何回も質問を受けた。
そのときは、「地震は必ずおさまり、全力を上げて復興をするためだ。逃げたら何にもできなくなる」と答えた。
神戸の人々は、よくがんばってたった2年間で街をここまで立て直した。
本当に尊敬に値する。
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