2011年6月15日水曜日

インド・香港そして神戸で考えたこと(1)

月刊誌「みにむ」1997年4月号

1.はじめに
自分自身を含めて、ごく身近にいる人間と同じように、現在存在する会社や非営利組織、地方自治体や国家、地域が、あたかもまるで「生きているもの」のように近頃は感じられてならない。

元気であったり、病気がちであったり、さっそうと前に向かって進んでいたり、悩み多く立ち止まったりしているようで、興味がつきない。

「会社の寿命」、「国家の興亡」などと名前をつけられた本がよく読まれているようだが、私自身は「視察」や「セミナー」、様々な少人数の「勉強会」を通して深く考えさせられることが多い。

先月号の「みにむ」で、「視察の仕方」について述べさせて頂いたところ、何人かの方々から、「では、林明夫は視察を通して何を考えたかもっと具体的に述べよ」とのご意見を頂いた。

非常に片寄った観点(バイアス)からのレポートになるが、せっかくのご意見なので今回から年末まで「林明夫の視察レポート」を書かせて頂く。

初回は「インド」と「香港」からの報告

(来月号はもし可能であるならば「失業率23%のスペイン」から、6月号はどうなってもおかしくない「北朝鮮」、7月号はあの「ハーバード大学ケネディー・スクール」からの報告の予定。
毎回「おまけ」の報告も付けさせて頂くつもりなので、どうかお楽しみに)。




2.「インド」と「香港」で考えたこと

①デカン高原のほぼ中央にある人口800万人のバンガロールで、「ホームレス」の人を見たのは飛行場と、街の中心部の「インターネット・カフェ」の近くだけであった。

800万人も人口がいるのだからただ私の目に見えないだけで、何万人かはいるのかも知れないが、とにかく街中がきれいで、路上生活者は余り目につかなかった。

何と散水車が道を清めていさえした。

エレクトロニクス・シティと呼ばれる、日本の工業団地にあたる特別区画の中にある「インフォシス社」は想像を超えるレベルであった。

あの「シリコンバレー」を支えたインド人のコンピューター技術者たちがつくり上げた会社であるからかもしれない。

世界の有力企業や非営利組織への24時間サービスのために、二つの通信衛星を使いこなしているのはこの会社だけだと、副社長さんが話してくれた。

同行した「ランス」の鈴木社長が顔色を青くして「インフォシス社」で作成しているソフトの内容は、日本のどの会社もはるかにしのぐばかりでなく、シリコンバレーのソフト会社もかなり超えるものであると言い出した。

インドは1991年にネール氏の娘むこであった首相が暗殺されて以来、社会主義ではあるが市場経済の立場をとり、経済発展がすさまじい。

18%といわれる大学進学者の多くがお金の稼げる理工系に進学を希望。

とりわけコンピューター技術者を養成する大学の倍率は高く、100倍近いところもあるようだ。

「インフォシス社」では、インドで毎年40万人余り育つといわれるコンピューター技術者の中でも、とりわけ優秀な社員を50倍以上の倍率で採用。

徹底的に研修システムをつくり研修。

そのような社員が現在1600名いる。

できれば、この数を早く1万名までもっていきたいとの副社長の発言であった。

昨年、四国の「ジャスト・システム」を半日かけて見学させて頂いたが、その何十倍も驚き、また、考えさせられた。

本年4月以降日本に事務所を開設し、日本での顧客獲得に本格的に乗り出すので、また東京でお会いしましょうと言って頂いたが、
イギリス人やアメリカ人以上にクリアーなテープレコーダーを聞くような、
また、文法的にも全く誤りのない英語を完璧に使いこなすマナー抜群のインドの人々が世界最高の技術を携えて日本に乗り込んできたら、日本のコンピューターソフト産業は、一体どうなるのかと考えさせられた。

日本は理科系離れが大学進学者の間で進んでいるが、日本の将来が心配になる。

せめて群馬大学や足利工業大学、宇都宮大学の工学部と「インフォシス社」の技術者たちが組んで、インフォシスの日本語バージョンを研究し、レベルの高い刺激を受けられないかと思うことしきりである。

*なぜ日本人は英語が使いこなせず、外国人は英語が上手かといえば、日本での英語教育は学校でもどこでもほとんど「日本語」によって行われているからである。

インドで「英語は何語で教えていますか?」と行く先々で聞いたら、いちいち笑われ、「ヒンズー語やタミール語で英語を教わって英語が話せるようになるハズがない。

日本人が英語が下手な理由がよくわかった」と言われた。

「英語の授業は全部英語で」がインドでも常識のようだ。

英語教育でも考えさせられることが多い。

②「インド」から「香港」へ向かい、バンコクでインド航空から、キャセイ・パシフィック航空に乗り換えたら鄧小平(とうしょうへい)氏の死亡の記事があった。

「黒いネコも白いネコもネズミをとるネコはみんなよいネコ」という「黒猫白猫論」で、社会主義市場経済を中国の中にほぼ完全に定着させ、
何億人もの餓死寸前とまで言われた中国国民を、生命の危機から救った氏の働きは大きかった。

香港の隣りの「深川」経済特区は、20年前は数万人しか住んでいなかったのに、現在は600万人の大都会に変貌。

中国最先端の超近代都市にさせたのも鄧氏であった。

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