2011年6月25日土曜日

朝鮮民主主義人民共和国で考える(1)

月刊誌「みにむ」1997年6月号


1.はじめに
「何で今ごろあのようなこわい国に行くのか、また行ったのか」と何十人もの方々から質問を受けた。

パリで編集し、衛星で送られた内容が東京で印刷されている「ヘラルド・トリビューン」という日刊の英字新聞と、ロンドンで編集され、衛星で送られた内容がホンコンで印刷された週刊の英文雑誌「エコノミスト」は、どちらも世界中同じ内容だが、ここ数ヵ月間、この国のことが出ていないことがない。

もちろん英語版の週刊誌「タイム」や「ニューズウィーク」の各アジア版にはここ数ヵ月毎号この国の記事が掲載され、最近では記事の分量がだんだん増えてきた。

特集記事すら出始めた。

日本の新聞やテレビもシリーズで「食糧危機」「経済危機」「国家の破綻」を問題にしはじめた。

「何でこの時期にそのような国に行くのか」
と多くの方々がご心配下さったのも十分理解できる。

視察シリーズ第3回目の今回はその朝鮮民主主義人民共和国からの報告である。
(お読みになりやすいように今回はQ&A方式で書かせて頂く。)




2.「普通の国にならざるを得ない朝鮮民主主義人民共和国」



Q1.どのような経緯で行くことになったのですか。


A.私の尊敬する高井伸夫法律事務所の高井伸夫先生から訪問団を組織したので行かないかとお誘いを受け、私も非常に関心があったので同行させて頂きました。

29名の訪問団でした。




Q2.いつごろどこから行ったのですか。


A.今年のゴールデンウィークの始まりの4月28日(月)から5月3日(土)までの5泊6日の日程でした。

130名乗りのコリョ航空機を使い、名古屋空港からピョンヤン順安空港まで2時間15分の空の旅でした。

この国と日本には航空協定があり、一年に20便のチャーター便が日本の空港からピョンヤンまで行くことになっているそうです。

ただ近年は、ゴールデナンウィークやお盆中などを中心に年に10便位しか直行のチャーター便は出ていないそうです。




Q3.どんなところに泊りましたか。
また、あちこち行くのは自由でしたか。
カメラやビデオの撮影は自由でしたか。


A.宿泊はその国で一番よい外国人用のホテルでした。

ベッドルームの他に書斎や居間、トイレが入口とベッドルームの奥と二つもついている広々とした部屋でした。

日本にも自由に電話やファックスができました。

外出は全く自由でした。

ピョンヤン市内ならどこへでも自由に行けました。

ただ、ハングル文字が読めず、また、ハングル語が使えないと迷子になった時困るので、外出は二人以上でするように注意を受けました。

朝5時から一人で街を散歩した方もおられました。

カメラやビデオでの撮影は全く自由でした。

何の制約も受けませんでした。

NHKのアナウンサーの高井真理子さんとTBS系の番組制作会社の方も同行なさっておられましたが、お二人ともずっと小型ビデオをまわしておられました。




Q4.街の様子はどうでしたか。


A.人口300万人といわれるピョンヤン市内は1959年の朝鮮戦争でほとんど廃墟となった後、建設された都市なので広い道路で緑豊かな整然とした美しい街並でした。

一階がお店の高層アパートが林立している様子には驚きました。

路上生活者や、物乞いの人、物売りの人は一人も見られない、ゴミ一つ落ちていない清潔感あふれる都市でした。

核シェルターにも使われるという地下100mのところを走る地下鉄にも乗りました。

シャンデリアの光かがやく素晴らしい駅構内でした。

少し混雑していた地下鉄内では小学生に席を譲られその親切に感じ入りました。

広い通りなのに乗用車はベンツが何台か走っているだけでした。

乗用車は政府関係の人しか利用しないようです。

自転車やオートバイはほんの数台しか5日間で見ませんでした。

人々はピョンヤン市内では地下鉄とトロリーバスとバスを利用して、市外ではバスとトラックの荷台を利用して移動。

あとはすべて徒歩。

みんなテコテコ歩いていました。

となり町へ行くのにも歩いていました。

バス利用の訪問者である我々ですら、1日1.5万歩平均歩きましたので、おそらく、ほとんどの国民が毎日1万歩以上は歩いていると思いました。




Q5.人々はどんなものを身に付け、また、食べていましたか。


A.我々は訪問団なので、食べ物は十二分に出されました。

こんなぜいたくなものを口にしてはこの国の人に申し訳ないと思われるようなものが毎食出されました。

ただ、口をつけたものを残しては、国情を考えると申し訳ないと思いまして口をつけたものはなるべく全部食べるようにしましたら、2㎏も体重が増えてしまいました。

普通の人々がなにを食べているかは実際よくわかりませんでした。

メイ・デーの5月1日に公園に行きましたが、サンドウィッチやおにぎりのようなものと簡単な果物と水をもって、ピクニックをしていた人が多かったように思えます。

ただよくよく聞いていくと、その公園に来られるような人々は非常によい方で、一日一食の人が多いとお聞きしました。

子供の顔や身体つきも年齢にしては2~3才小さいような気もしました。

どこへ行ってもみなこざっぱりしたものを身に付けておられました。

ただ衣服の材質は余りよくないようでした。

革の靴はフォーマルの時で普段はズックの靴を身に付ける人が多いようでした。

物は月2回配られる配給切符を持っていくと売ってくれるようです。

食べ物の配給が随分と少くなっているとお聞きしました。

みんなでデパートに行って来ました。

大体のものはそこで買えるようですが、月収で日本円にして5000~9000円の方が多いとお聞きしていましたので、その収入では余り買えるものがないのではと思いました。

女性用のひざ上までのストッキングが15ウォン(約900円)もするのには驚きました。

私は外国に行くと宿泊先のホテルでよく床屋さんに行きますが、ピョンヤンのホテルでは15ウォン(約900円)でした。

約1時間かけていねいにピョンヤン・カットをして下さいました。

(ホテル以外では10分の1以下の価格だとお聞きしました。)

2011年6月24日金曜日

スペインで考えたこと

月刊誌「みにむ」1997年5月号



1.はじめに

「ラテン気質」のスペイン人は、遊ぶことのみ大好きで、仕事をすることは大嫌い。

昼は長く休み、夜ふかしが大好きー。

以上のようなことをたびたび聞かされ、だからスペインやラテン系の国々が貧しく、また、失業者も多いと思う方が多いと言われているようです。

果たして、本当にそうなのか。

今回は、「視察シリーズ」の第2回目で、スペインからの報告です。



2.「普通の国」になりつつあるスペイン

①スペインの首都マドリッドの郊外は、現在、いわゆる「ニュータウン」の建設ラッシュ。

整然と都市計画をされた「ニュータウン」の中に、ショッピング・センター、学校、病院、商店街、アパートや一戸建の住宅が、数多くつくられつつあります。

友人の医師マルガリータさんの家を訪れると、弟夫婦と両親夫婦との2世帯住宅で、シンメトリー(左右対称)のプール付の住宅。

地階がガレージ兼仕事場、1階は応接室、台所とテラスに続く居間。

2階は4ベッドルーム。

3階は左右に大きな窓とサンルーフの二つ付いた屋根裏部屋。

片方の家だけでも、トイレが6ヵ所も付いた行き届いた設計。

「ホー」っとため息が出てしまいました。

こんな家が街中いたるところに見られるのが、最近出来つつあるニュータウンのようです。


②マドリッドの国際便の飛行場は、午前7時すぎには免税店もすべてオープン。

「ここはシンガポールか」と感違いするほど数多くの真新しい免税店がプランド品を山のようにとりそろえて観光客を待っていました。

少し大きな街には、スーパーマーケットがあり、「シェスタ」と呼ばれる昼休みの時間も気にせずオープン。

買い物客でにぎわっていました。


③マドリッドからセルビアまでは、日本の新幹線よりも速くて、はるかに乗り心地のよい『AVE』が、時刻通り発車し、時刻通り到着。

何回も乗ったバスや列車も、定刻ピシャリと出発し、列車は定刻ピシャリ、バスも必ず目的地に4~5分前には到着。

日本の鉄道やバスと時間の正確さでは全く変りありませんでした。

駅のデザインや色使い、列車の色使いは、さすがピカソや数多くの芸術家の出た国とあって、斬新で、美的感覚にあふれたものでした。

日本の交通機関も学ぶところ大であると思いました。


④以前は日本人でスリや泥棒に会わない人はラッキーだ、と言われたスペインですが、最近は北アフリカからの出かせぎの人々を締め出しているため、治安が大幅に向上。

用心にこしたことはないが、かなり安心して旅行できる国にスペインもなった、と評判になるほど。


⑤街の景観、特に歴史的な建物を保存しようという執念は、尊敬に値します。

中世の三つの大学の一つに数えられる「サラマンカ大学」を訪れた時は、このゴチック建築の教会や、その続きの建物がサラマンカ大学だと言われ、一体どこで勉強するのかと不思議な思いをしましたが、中に入って、日本やアメリカのどこにでもあるような教室や事務室があるのに感激した。

要は、外側をそっくり残し、内側だけ使いやすいように現代的にしてるのでした。

全て壊し、全て新しくするのが日本の方法だが、屋根も含めて外側は全て残し、内側を全て変えるのがスペインのやり方。

あちこちで随分とこの方法を見ました。

*歴史的な建築物の保存について興味のある方は、スペインの国営ホテル・チェーンである「パラドール」の会員になり、「サモーウ」「トレド」「レオン」など各地の「パラドール」に宿泊することをおすすめします。
教会や修道院・古城をホテルとして活用しているからです。
景観や、歴史的な建物を生かした建築に興味のある方も、一度はスペインに行かれると、これまた目が開かれるかもしれません。

街の色を一つのトーンでまとめると、これほど美しくなるのかという一つのモデルがスペインにもあります。


⑥「あなたは何をやっていますか」
と聞かれたので、

「日本で学習塾といわれるものをやっています。
生徒は昨年のピークの時で3175名いました。
今年の春には、21名の先生を採用しています。
職員は全部で150名余りいます」
と説明すると、

「そんなに人を雇っている経営者なら、それだけですばらしい。
あなたのような人がこの街にもう10名もいたら、この街の経営はもっともっとよくなる。
失業者も減る」
と言われました。

24%の失業率までいったスペインでは、自分の就きたい仕事に就くことが困難な場合が多いようです。

先日亡くなった鄧小平氏が、91年に上海で行った「黒いネコも白いネコもネズミをとるネコはみんなよいネコ」という演説を、現代スペインにおきかえると、「どんな会社でも(社長さんでも)、人を採用する会社(社長さん)はよい会社(社長さん)」となるようです。


⑦今回のスペイン視察の最大の目標は、産業の空洞化、産業構造の大転換が迫られる日本、とりわけ大工業地帯である北関東にとり、125円になっても超円高と世界最高水準の賃金のもとで、失業問題は避けて通れないと考えるので、失業率が20%を超えて久しいスペインは、一体何が原因で高失業率の国になってしまったのか、
それに対しどのような短期的な取り組みと長期的な取り組みを国と個人はしているのか、更には、自分の仕事である教育サービス業はどうなっているのか、高失業率の国でも盛んなサービス業は何なのか、などを考えるきっかけを得るためでした。

問題が大きく、また広いので1回や2回の視察ではとても結論を出せるようなことではないとは思うが、これからもスペインを「ベンチ・マーキング」し続け、
「①継続的なデーターの集積と②科学的な思考を駆使した観察から分析へ、そして判断を下すという思考手順、この二つの経験を積み重ね」(注1)
ることにより、テーマに迫ろうと思います。


⑧ただ、大雑把に言えることは、こと失業問題だけについていえば、あの独裁者といわれるフランコ氏の時はよかったけれども、その後の政治的な混乱、とりわけ産業政策にうとかった政権のおかげで失業に苦しむ人が多く出たこと。

最近は、EU諸国と同じ仕事ぶりをしないとありとあらゆるところで遅れをとり、またサービスや治安が悪いとドイツやアメリカからの観光客も来てくれないので、政府や産業界が中心となって仕事の質的向上に全力でとり組んでいるようです。

これに99年の欧州通貨統合にむけて、インフレ率や失業率を低め国の力を強くしようというスベイン始まって以来の努力が少しずつ実り、バルセロナ市郊外のニュータウン建設ラッシュや朝早くから始まる免税店、シェスタのないショッピングセンター、時間に正確な電車やバス、どろぼうやスリの減った街中が実現しつつあると思います。

大事なことは、政治や社会のトップに立つ人が、高い目標を揚げて人々を引っぱり続けること。

その目標が人々の日々の生活を良くすること、国の力を高めることにつながると思ったらみんなで協力することではないかと思います。


⑨過日、「栃木県経済同友会国際問題委員会日米欧部会」で会の委員長である板橋敏夫足利商工会議所会頭から、「イタリアのコモ市の繊維産業」の隆盛ぶりをお聞きした。

もし、足利市や両毛各市にとって「コモ市」が非常に参考になり、学ぶところが多いなら、商工会や商工会議所、市町村が街をあげて「コモ市」を「ベンチ・マーキング」させて頂き、取り入れるべき精神はどんどん取り入れさせてもらうべきだと思います。

時代は光のようなスピードで進んでいます。

世界中にアンテナを張りめぐらして、参考になるところがあれば、よいリーダーのもと、一丸となって視察に訪れ、積極的に取り入れる。

ゴルフや趣味に使うお金とヒマがあったら5年後、4年後の我が社と我が街のために視察に訪れることをおすすめします。

私も近いうちにぜひ訪れたく思いますが、繊維関係の方で自分の会社や我が街の将来を本気で考える人は、自社の取り扱い分野を扱っているアジアの国のいくつかと、イタリアの「コモ市」を訪問し続けると「活路」を見い出せるかもしれない。

日本は世界を相手にして仕事をしているのだから、地元にばかりいて嘆いていても物事は一歩も進まない。

座して死を待つよりは、パスポートが出入国のハンコでいっぱいになるまで視察をし続けて下さい。


⑩失業者の多いスペインで人々が習いたいものは、「英語とコンピューター」でした。

「英語とコンピューター」をマスターするビジネススクールは、ここスペインでも大はやりでした。

21世紀を迎え、就職を勝ちとるためには、また、ビジネスを効率よく進めるためには、英語とコンピューターが手足のように使いこなせなければならないようです。




3.おまけ-本の御紹介
①「ストア・コンパリゾン(店舗見学のコツ)」渥美俊一・桜井多恵子共著、実務教育出版・平成8年2月20日刊1800円。

*「視察の仕方」を省いた、おそらく日本で最初の体系書(テキスト・教科書)。
店舗、つまりお店の見学に限らず、様々な視察にいくらでも応用できる内容。
故に、視察を職業にする人(市町村長、国会および地方議会議員、国家公務員、地方公務員、営利・非営利を問わず会社や団体の幹部職員、PTAや自治会で視察に行く人々等々)にも参考になります。

*ただ一番参考になるのは、小売・卸・問屋・他の純料サービス業を問わず「サービス業」に従事している人です。
「世界一になれた理由は、誰よりも店舗見学を数多くしているからだ」と世界一の小売業ウォル・マートの創業者サム・ウォルトン氏もおっしゃった、その店舗見学の具体的な方法が書かれています。
私はこの渥美先生と桜井先生のお二人の先生を尊敬しているので、何十回もセミナーに出、本も何十冊も読ませていただきました。
日本中で誰よりも多く、日本やアメリカの店舗視察をお続けなのが、このお二人ですので、視察をなさる方の必読書としておすすめ致します。


②注1は、この本の「まえがき(2)」XIからの引用です(桜井恵子著の部分です)。


③来月号は、「朝鮮民主主義人民共和国」からの報告の予定です。
*スペインには、サラマンカ大学の視察も含めて、大学関係者と出かけてきました。

2011年6月17日金曜日

インド・香港そして神戸で考えたこと(2)

③香港やシンガポールの一人当りのGDP(国民総生産)はイギリス以上になった。

国の「経済的」発展は、鄧小平氏やリー・カン・ユー氏のような政治家一人の考え方一つで決まってしまうと考えると、非常に興味深い。

今、この文章は、ロンドンに向かう英国航空の中で、シベリアの大地を見ながら書いている。

もし、ゴルバチョフ氏がもっと政治力をもっていて、より完全に国内改革をやり尽げたならば、もし、エリツイン氏の健康状態がもっと正常に近く元気に活動できたら、ロシアの人々の暮らし向きは今の10倍以上は良くなっていたに違いない。


④返還前の香港はバブルのはじける前の東京とそっくり同じだ。

日本円にして2億円、3億円のマンションが飛ぶように売れ、値上がると思われる不動産はどんどん買い、2~3か月後に20~30%値上がればすぐに売り、「利ざや」を稼ぐのが「ビジネス」と思っている人が多い。

いつかはじけることはみんな知っているが、はじけるまでに、儲けるだけ儲けようと必死だ。

どこまで香港の影響を中国が受けるかが問題だ。

一昨年、何回か上海や杭州市に行ったが、郊外を車に乗せてもらい走っていると何万台、いや何十万台もの真っ黒な色をした「耕運機」を軽トラックにした乗り物に出会い驚いた
(数年前にプノンペンに行ったとき、向こうから見たこともない車が砂けむりをあげて追ってくるのを見てびっくりし、よく見たら戦車だったのでもう一度びっくりした覚えがある。
中国の耕運機利用の小型トラックも驚きだ)。

あれだけの台数が黒煙をあげて走りまわって大気はどうかといえば、鼻の中が真っ黒になるのは、ジプニーだらけのマニラや大渋滞のバンコクと全く同じだ。

中国沿海部の超スピードの経済発展は、ジェット気流に乗って日本に公害(酸性雨)をまき散らす原因ともなる。

日本の政府開発援助は中国の公害問題の研究のためにも、より多く使うべきだ。

「金欲」は「物資欲」となってあらわれ、香港の人々のように全中国の人々が経済活動をし始めると、生活レベルは急激に向上するかも知れないが、
日本が味わったのと同じ苦しみを中国国民が味わい、人口が多い分だけ、近くの国に迷惑になる可能性も多い。

⑤インドは人口が約9億人ちょっと。

中国は約12億人ちょっと。

2国を足すと約22億人。

世界の人口はおおよそ56億人と言われているので、インドと中国の二つで世界の40%を占める。

「中国に行くと騙され、インドに行くと病気になる。近寄りがたい国である。まして行ってビジネスをするなど論外。」
というのが日本人の大方の考えかもしれない。

ただ両国とも社会主義とはいえ、市場経済を完全に取り入れ、「規制なし」、「自己費任」、「自助努力」を国是としつつあるので、大発展の可能性がある。

経済的な苦労もしつくしている。世界にむけて21世紀を生きようとする人は、両国を年に1~2度は訪れるべきかと思う。




3.おまけ-そして「神戸」
震災後神戸には5回ほど行き、その復興ぶりを見せて頂いた。

芦屋に友人がお住まいなので励ましに行くのが直接目的であった。

昨日はダイエーの中内功会長から、ポートピアホテルの国際会議場でこけら落しの講演をきいた。

農工社会の続きは「knowledge」つまり「知識」社会が到来する。

知識のネットワークを構築して21世紀を生き抜けとの主旨だ。

「地震対策は」と友人の先生に質問したら、目の高さ以上の所に物は置かないこと、できるだけ押入れの中に物は収納すること、一階建の家に住むこととのご返事だった。

大型・テレビが寝ている奥様の頭のすぐ横まで飛んできたとお聞きしていたので、テレビも押入れの中に入れておき、寝るときにはふすまを閉めた方がよいのですか、とお聞きしたら笑っておられた。



注:
インドには、栃木県経済同友会・アジア部会「インド経済視察団」の一員として参加。
香港には、栃木県経済同友会・新世紀経営研究会「香港経済視察団」の一員として参加。
神戸には、「全国経済同友会セミナー」に参加のため出かけました。


参考文献:
The Ecnomist 3月1日号、23ページ~25ページ「The ASIAN MIRACLE」
-3月7日執筆-



震災のときに一緒にテレビを見ていた中国からの留学生に、「あんなにひどい状態なのに人々はなぜ神戸から歩いてでも逃げ出さないのか」と何回も質問を受けた。

そのときは、「地震は必ずおさまり、全力を上げて復興をするためだ。逃げたら何にもできなくなる」と答えた。

神戸の人々は、よくがんばってたった2年間で街をここまで立て直した。

本当に尊敬に値する。

2011年6月15日水曜日

インド・香港そして神戸で考えたこと(1)

月刊誌「みにむ」1997年4月号

1.はじめに
自分自身を含めて、ごく身近にいる人間と同じように、現在存在する会社や非営利組織、地方自治体や国家、地域が、あたかもまるで「生きているもの」のように近頃は感じられてならない。

元気であったり、病気がちであったり、さっそうと前に向かって進んでいたり、悩み多く立ち止まったりしているようで、興味がつきない。

「会社の寿命」、「国家の興亡」などと名前をつけられた本がよく読まれているようだが、私自身は「視察」や「セミナー」、様々な少人数の「勉強会」を通して深く考えさせられることが多い。

先月号の「みにむ」で、「視察の仕方」について述べさせて頂いたところ、何人かの方々から、「では、林明夫は視察を通して何を考えたかもっと具体的に述べよ」とのご意見を頂いた。

非常に片寄った観点(バイアス)からのレポートになるが、せっかくのご意見なので今回から年末まで「林明夫の視察レポート」を書かせて頂く。

初回は「インド」と「香港」からの報告

(来月号はもし可能であるならば「失業率23%のスペイン」から、6月号はどうなってもおかしくない「北朝鮮」、7月号はあの「ハーバード大学ケネディー・スクール」からの報告の予定。
毎回「おまけ」の報告も付けさせて頂くつもりなので、どうかお楽しみに)。




2.「インド」と「香港」で考えたこと

①デカン高原のほぼ中央にある人口800万人のバンガロールで、「ホームレス」の人を見たのは飛行場と、街の中心部の「インターネット・カフェ」の近くだけであった。

800万人も人口がいるのだからただ私の目に見えないだけで、何万人かはいるのかも知れないが、とにかく街中がきれいで、路上生活者は余り目につかなかった。

何と散水車が道を清めていさえした。

エレクトロニクス・シティと呼ばれる、日本の工業団地にあたる特別区画の中にある「インフォシス社」は想像を超えるレベルであった。

あの「シリコンバレー」を支えたインド人のコンピューター技術者たちがつくり上げた会社であるからかもしれない。

世界の有力企業や非営利組織への24時間サービスのために、二つの通信衛星を使いこなしているのはこの会社だけだと、副社長さんが話してくれた。

同行した「ランス」の鈴木社長が顔色を青くして「インフォシス社」で作成しているソフトの内容は、日本のどの会社もはるかにしのぐばかりでなく、シリコンバレーのソフト会社もかなり超えるものであると言い出した。

インドは1991年にネール氏の娘むこであった首相が暗殺されて以来、社会主義ではあるが市場経済の立場をとり、経済発展がすさまじい。

18%といわれる大学進学者の多くがお金の稼げる理工系に進学を希望。

とりわけコンピューター技術者を養成する大学の倍率は高く、100倍近いところもあるようだ。

「インフォシス社」では、インドで毎年40万人余り育つといわれるコンピューター技術者の中でも、とりわけ優秀な社員を50倍以上の倍率で採用。

徹底的に研修システムをつくり研修。

そのような社員が現在1600名いる。

できれば、この数を早く1万名までもっていきたいとの副社長の発言であった。

昨年、四国の「ジャスト・システム」を半日かけて見学させて頂いたが、その何十倍も驚き、また、考えさせられた。

本年4月以降日本に事務所を開設し、日本での顧客獲得に本格的に乗り出すので、また東京でお会いしましょうと言って頂いたが、
イギリス人やアメリカ人以上にクリアーなテープレコーダーを聞くような、
また、文法的にも全く誤りのない英語を完璧に使いこなすマナー抜群のインドの人々が世界最高の技術を携えて日本に乗り込んできたら、日本のコンピューターソフト産業は、一体どうなるのかと考えさせられた。

日本は理科系離れが大学進学者の間で進んでいるが、日本の将来が心配になる。

せめて群馬大学や足利工業大学、宇都宮大学の工学部と「インフォシス社」の技術者たちが組んで、インフォシスの日本語バージョンを研究し、レベルの高い刺激を受けられないかと思うことしきりである。

*なぜ日本人は英語が使いこなせず、外国人は英語が上手かといえば、日本での英語教育は学校でもどこでもほとんど「日本語」によって行われているからである。

インドで「英語は何語で教えていますか?」と行く先々で聞いたら、いちいち笑われ、「ヒンズー語やタミール語で英語を教わって英語が話せるようになるハズがない。

日本人が英語が下手な理由がよくわかった」と言われた。

「英語の授業は全部英語で」がインドでも常識のようだ。

英語教育でも考えさせられることが多い。

②「インド」から「香港」へ向かい、バンコクでインド航空から、キャセイ・パシフィック航空に乗り換えたら鄧小平(とうしょうへい)氏の死亡の記事があった。

「黒いネコも白いネコもネズミをとるネコはみんなよいネコ」という「黒猫白猫論」で、社会主義市場経済を中国の中にほぼ完全に定着させ、
何億人もの餓死寸前とまで言われた中国国民を、生命の危機から救った氏の働きは大きかった。

香港の隣りの「深川」経済特区は、20年前は数万人しか住んでいなかったのに、現在は600万人の大都会に変貌。

中国最先端の超近代都市にさせたのも鄧氏であった。

2011年6月7日火曜日

本格的な視察のための基礎知識(3)

3.おわりに-アクションあるのみ

視察後何か月もたつのに、現状に何の変化ももたらせないのであれば、みんなの貴重なお金が無駄になったのであるから、二度と再びその人を視察団に加えるべきではない。


事務局員や添乗員がまとめた報告書であるならば執筆者は氏名を明らかにした方がよい。


視察者は、たとえ一行でも、これからどうアクションをおこすか、その意思を明確に表現し、そのことばに責任を持つべきだ。


報告とはそのようなものだ。


マージャン、カラオケ、ゴルフつきの物見遊山なら視察は単なるおかざりで無駄な視察だ。


視察は何のために、また、誰のためにやるのか、物事の本質に遡って考え直すべき時がきたように思われる。


*誤解されても困るのでもう一言付け加えさせて頂くが、私は視察を否定するものではない。


トップが1週間に2~3日視察に出かけることを一年中すれば、自治体や企業は必ず活性化すると確信している。


ただ、現状は余にも物見遊山・遊び中心のものが多く、とても税金やみんなのお金を使ってやるようなものではないと、常々感じているのであえて苦言を述べさせて頂いた。

本格的な視察のための基礎知識(3)

(2)事前の準備が全て

①視察に行くときには、「資料集」を絶えず持ち歩くとよい。

次の4冊は視察をする人にとって「武士の刀」にあたる。

絶えず参照するとしないとでは、天と地の差がでる。

そのくらい役に立つ。

  ア、「世界国勢図会」

  イ、「日本国勢図会」

  ウ、「データーでみる県勢」

すべて国勢社の刊行で、毎年改訂版が出るので金を惜しまず毎年買い揃えるとよい。

どこかの国や県、都市に出かける前に前記の本で、その国名・県名・都市名が出ている全箇書に、マーカーでマークしていくと、かなりイメージが湧いてくる。

旅行中も持ち歩き、絶えず目を通し続け、その上で現地で質問すると、物事の本質・問題の核心にズバーと入り込めることが多い。

 エ、「POLITICAL SYSTEMS OF THE WORLD」(Helicon社刊)

のような本も1冊手元におき、これから視察に行く国について解説してあるページを拡大コピーし、英和辞典、できれば英英辞典を使い、意味調べをした上でノートに張り付けて行くと外国視察の場合には本当に役立つ。
(日本の百科辞典でもよい)

  オ、視察先の国や都道府県の新聞記事は、最近の2~3ヵ月分位は切り抜きをすべきだ。

  力、視察予定のテーマについて出版されている本は、できるだけたくさん手元に揃え、メモを取りながら読みすすめること。

視察のテーマについて書かれている雑誌の記事や論文は図書館のレファレンス係に相談し、できるだけコピーを集め、これまたメモを取りながらどんどん読みすすめること。


②視察先が外国ならば.その国のことばは視察先が決まったら、たとえ何か月かでも勉強し、身につけるべきだ。

言語を学びながら、その国に関する本やビデオにもできるだけ多く接するべきだ。

図書館の活用を強くおすすめする。

その国の歴史の本も、読めたら読んでおくとよい。


③言いにくいことだが、英語が読め、聞き取れ、話せなければ、ハナシにならないことも多い。

今の高校生や大学生に舌をまくほど英語の上手な使い手が多い。

学生を家庭教師に頼んででも外国を視察する人は英語を身につけるべきだ。

*外国に視察に行き、使える英語を身につける最も手取り早い方法は、日本で出ている英字新聞を一種類購読して、つらくとも1日1~2時間、一面に出ている記事を辞書をいくらひいてもよいから読みすすめることだ。

読もうとする記事を切り取りノートにパラグラフ(章)ずつ張り付け、その下に単語や語句の意味を書き、また、毎日のように今まで調べた単語を声に出して読んでみることを何か月か続けること。

視察に行く一か月前位からはBS放送で、英語だけでニュースを聴くことを毎日1~2時間し続けると、どこの国へ行ってもコミュニケーションがスムーズにできる。

外国視察中に日本語で全て通すようでは情けない。

まして、若者に英語を勉強せよなどと言う資格はない。




(3)視察中はできるだけ問題の核心に迫ること

①視察には「問題解決」の参考のためにいくのだから、視察中は目的達成のために努力すべきこと当然である。

丁寧に、丁寧に、物を見、話しを聴くこと。

わからないことがあれば礼を尽くして質問をさせて頂くこと。

なぜ視察先ではうまくいって当方ではうまくいかないのか、その原因を深く考えること。

その原因が、当方にはその「しくみ」がないこと、その「しくみ」を支えるような人材が育っていないことがわかったら、別の不要な予算を削減して、必要な人材を採用したり育成しなければならないことがわかってくる。

その人材を育成する人自体が存在しないとしたら、どのような方法で人材を育成する人を育成するかという問題になる。


②ただ、当方ではやっていなくて視察先でやっている事柄でも、それは素晴しいとすぐに飛びついてしまうのも問題だ。

視察先がやっていることでも三つのパターンがある。

つまり、「深く考えてやっている場合」と

「ただ何となくやっている場合」と

「もうやめようと思っているが、今はたまたまやっている場合」

と三つある。

「何となく」や「やめようと思っている」事を見て、視察者が喜んでしまい、当方にそのまま取り入れるようなら、その視察は害悪にすらなる。

「深く考えた上でやっている」ことを、少しずつできるだけ簡単な形にして、実験と修正を繰り返しながら取り入れることが大事だ。

1回や2回訪問したのでは、「深く考えてやっているのか」、「もうやめようと思っているが、たまたまやっている」のか教えてもくれないし、判断もできない。

視察先の当の本人すら気のついていないことも多い。

故に、これぞと思ったところには、一度ではなく、定期的に何回も同じメンバーで訪問すべきである。

夜は缶ンビール1本くらいは飲んでもいいが、同じメンバーで徹底的に視察をふまえた上で、当方をどうすべきか議論をすべきである。

帰ったら、いつからどのようなアクションを起こすべきかアクション・プログラムを立てるべきである。

本格的な視察のための基礎知識(2)

2.本格的な視察を心掛けよう

(1)報告書を書くことを頭において、視察をしてはならない。報告書は一行でもよい。

①何のために視察に行くのかは、「はじめに」で書かせて頂いた通りだ。決して「報告書」を書くために、「視察」に行くのではない。


②逆に言えば、「報告書」さえ出せば「視察」の目的を達したと思ってはならない。

資料や少しばかり現地で聴きかじった内容を、まとめて文章にするだけで、視察が終了したと思ってはならない。

ましてや、同行の添乗員や事務局員に資料や文章をまとめさせ、それを少しだけ加工すれば視察は済んだと思ってはならない。


③更に言わせて頂くならば、「報告書」さえ何らかの形で出せば、あとは何をどうしようが自由、との考えのもとに、

近くの観光地の物見遊山や、美術館めぐり、舞踊の会や音楽の会めぐり、挙句の末には、毎晩のような宴会、買い物で疲れ果て、肝心な視察先では居眠りの連続なら、視察としては下の下である。

ゴルフやマリーンスポーツまで視察中に組み入れるなどは話にならない。

そんなに遊びたかったら、「観光旅行」、「慰安旅行」とはじめから割り切って自らの費用で出掛けるべきである。

決して、税金や所属する団体の費用で行ってはならない。

ましてや、遊びに行って「日当」や「出張手当」までも請求してはならない。

また、現地の「公務員」や関連団体の職員の貴重な勤務時間を、単なる作成の非正のために奪ってはならない。

*それは「お互い様だ」だから構わないという考えがあるとすれば、明らかにおかしい。

視察団を迎える場合にも、観光地が中心で、夜には宴会が毎日組まれているようなものであったなら、対応する人の人件費(つまり税金)の無駄であるので、

できるだけ経費(税金)のかからないよう、創意工夫を当方でも予めすべきである。

そんな人たちのために、一冊何百円もするようなパンフレットを用意したりすべきではない。

また、給料の高い人たちを接遇に当てるべきではない。


④要するに私がここでいいたいのは、「報告書は一行でもいい。その代わり、視察中は、物見遊山、美術館や博物館めぐり、音楽会や舞踊・劇場、宴会、買い物、ゴルフ、マージャン、カラオケなどは一切してはならない。

そんなに遊びたかったら、別の機会に自分の費用で行くべきだ」と いうことだ。


⑤「つらい」と思ったら行かないことだ。

みんなに費用を出してもらって「視察」に行くのだから、遊び中心であってよいハズがない。


⑥ご褒美としてのプレゼントなら「ご褒美旅行」とすべきである。視察という名は付けるべきではない。

本格的な視察のための基礎知識(1)

1.はじめに
ある問題があり、それをどうするかについて考えたり、決めたりするときに、

その場所にいつづけた方がよいのか、それとも同じような問題を抱える場所に行き、そこでの解決方法を参考にした方がよいのかといえば、

断然後者の方がよい。


できれば、同じような問題を抱えた場所を数多く捜し出し、訪問した方がよい。

より深くその問題の所在を明らかにし、その根本的な原因を探り当てた上で、とりあえずこれから1~2年どうするかという「緊急対策」と、今までの仕組の変更も含めての、5~6年がかりの「制度改革」の二つを立案すべきだ。

「視察」はそのためにすべきものだ。



*どこも見ないで、ただじっと座り込んで考えても、出てくるのは「人類初めての案」だけで、そこで行われるのは「人類初めての実験」となり、失敗の連続となる可能性が極めて高い。

逆に、十分「視察」をし、広い視野からものごとを考えた上で、実情に合致した決定をすれば、失敗は少ない。

視察の方法が判らない人が多く、社会問題にまでなっているので、今回は、「効果の上がる視察の方法」の基本を考える。

*これから述べる方法は、国家や地方自治体の代表公務員が行う視察のみならず、非常利組織や企業の行う視察にも応用できると思う。

2011年6月4日土曜日

大学セミナーハウスで考える(2)

月刊誌「みにむ」1997年1月号


2.ミニ・ミニ・シンク・タンク・開倫総研とは

①「講演会」、「セミナー」をどんどん開催。
「趣味は何ですか」といわれると「セミナー参加です」と答えるくらい、私自身は毎日のようにセミナーに出席している。
もし御要請があれば「間違いだらけのセミナー選び」というテーマなら、2時間でも3時間でも「セミナー」が開けるほど、セミナーにはよく出ている。

「林さんは客プロだね」とある有名な先生から言われ複雑な思いがしたことすらある。
今度は私たちが主催する番なので、徹底的に参加者の立場に立った聞けば必ずためになるセミナーを開催するよう心掛ける。

*実際、開倫塾では、生徒のレベルアップのためにはまず教職員のレベル向上という考えのもとに、開倫塾の教職員のレベルアップのためのセミナーを、ほぼ毎週のように開催している。
(内部向けだが、今後公開してよいものは公開させていただく。自分で言うのもおかしいかも知れないが、かなり本格的なので、これに参加したい方は開倫総研までお電話でお申し出下さい。)



②機関誌「かいりん」の発行
原則として開倫塾のある市町村の大学・短大.専門学校をはじめとする先生方、有識者の方々に、できるだけ地域の特性に合った、しかも、一般市民が読んでわかりやすい表現の論文を書いていただき掲載させていただく。

一人ひとりの市民の皆様にお役に立つのみならず、各市町村の発展にも寄与するような内容にさせていただくことを目指す。
また、論文をお書き下さった先生方には、定期的に講演や、セミナーをお願いし、更に深い内容理解にまでもっていきたく思う。
(創刊号が出ましたので.希望の方はお電話を下さい。)



③意識調査の実施
一つの現象について一体どのように人々は思っているのだろうかという意識調査を時宣に応じて行っていく。物事を考える上で机上の空論を排すことが大事だからだ。



④シンク・タンクの研究
欧米にたくさんあって、日本に数少ないものの一つが「シンク・タンク」であるといわれて久しい。

「シンク・タンク」とは何か、をできるだけ調査し、日本におけるシンク・タンクの実態を少しずつ明らかにしたうえで、あるべきシンク・タンクの姿を示し、自らそれに近づきたい。

同時に、もし本当に日本社会にシンク・タンクが必要不可欠であるならば、日本のシンク・タンクの育成にも参加したい。



⑤当面の研究テーマは「結果の出せる職業人の育成」
開倫塾では8年前から.生徒と保護者の皆様向けの塾内誌「開倫塾ニュース」を毎月1回3500部発行しつづけてきたが、その中に、「How To Become」シリーズ(職業に就くにはどうしたらよいか)がある。

今春で100回になるので、そのつづきとして、各分野で「結果の出せる職業人になるにはどうしたらよいか」を調査研究し、少しずつ明らかにしていきたいと思う。

片寄った考え方かもしれないが、少子化のもと、高齢化社会を支え、なおかつ、年1800時間労働制のもとで、今と同じだけの世界最高賃金を維持しながら、
一人ひとりの働き手が心豊かな生活を送るためには、世界一高い内容の仕事をしなければならないと思う。

「名ばかりの職業人」から一日も早く脱却して、目指すべきは「結果の出せる職業人」である。



⑥この他にも「北関東4県の研究」、「環太平洋経済圏の研究」、「EU研究」、「失業問題研究」、「エスニック問題」等々、取り組むべきテーマは山ほどある。

もし、アセアン諸国がEUと同じように同一通貨を使い、一国と同じになったら、また、中国がWTOに本格参画したら当地の繊維産業や、下請工場、農業はどうなるのか。
アジアやヨーロッパ、ラテンアメリカを含むアメリカの変化が、直接我々の日々の生活に結びつき、失業問題となって社会問題化することは、明確である。

先日来、財団法人の日本国際問題研究所から出ている月刊誌を過去3年分お送りいただいて毎週1冊ずつ読んでいる。
読めば読むほど、今ほど国際経済の分野について勉強している人を各市町村で10名単位で育てておかないと、国際変化を読み違え「あっ」という間に市町村の主要な業種が吹き飛んでしまうような気がして、恐ろしい思いがしてきた。

*各市町村や、一定規模以上の企業では、ぜひ国際情勢、とりわけ国際経済に強い職員を二ケタ単位で兼任でもよいから任命して、調査研究費を、とりあえず一人に年間100万円与えることをおすすめする。
(その人達に「国際交流」の仕事は絶対にやらせないこと。
主要な地場産業の海外や国内での動きについての調査研究のみを徹底的に、「今までの仕事との兼任」でもよいから調査費年100万を渡し自由にやらすこと。
会社経営者を集めたセミナーや懇親会等にまわす予算があったら、そこから1000万削って、一人に100万円ずつ、10名に渡すことをおすすめする。
この1000万で、我が街の主要産業が吹き飛ばされずにすむかも知れない。
とってつけたようなセミナーや懇親会、異業種交流、場当たり的な会議をいくらやっても、産業空洞化の対策にはならない場合が多い。
また、いくら部下が勉強しても、最終決定権者が勉強不足では、街や企業の行方も思いやられる。
トップに立つ人ほど、難問だからといって逃げないで、どんなにお金がかかっても、辛くてもたえず勉強することが、また、最も優秀と思われる部下から順に徹底的に勉強させることが大事だ。)





3.おわりに
①日本は世界でもまれな、基本的人権の最も尊重されている国の一つであると確信する。

その意味で、この国の自由主義・民主主義は完成の域に入ったと思われる。
(日本の新聞やテレビばかりに接していると、日本は世界最低の国、これ以上ひどい国はないように思う方が多いようだが、ヘラルド・トリビューンを毎日、
また、ロンドンで出しているエコノミストを毎週読んでいると、解決すべき問題は数多くあるかもしれないが、日本は政治的にも、経済的にも、最も安定している国の一つであるという確信が更に深まる。)



②その中でも思想・表現の自由は最も尊重されていると思う。ぜひこの「みにむ」をお読みの皆様も、自分でシンク・タンクを作りたいと思ったら、誰に遠慮することなく、自己責任、自助努力で、どんなテーマでもよいから調査研究し、その成果を発表したり、セミナーを開きデイスカッションを深め、あるべき姿を目指すべきかと思う。



③そのような、基礎的な作業をコツコツやる市民が増えれば増えるほど、その市町村には活力が生まれ、今まで学校で一所懸命勉強してきた学生達を迎える環境が整備できるような気がする。

一人でも、二人でも、ミニ・ミニ・シンク・タンクはできる。私もがんばりますので、一緒にがんまりましよう。

2011年6月3日金曜日

大学セミナーハウスで考える(1)

月刊誌「みにむ」1997年1月号


1.はじめに-問題意識-
①八王子市にある大学セミナーハウスで、(1996年)11月22日から24日に開かれた第23回国際学生セミナーでは、久しぶりによく勉強させて頂いた。

「転換期の世界」、「アジアにおける日米関係」のメインテーマのもとに、120名の参加者(うち外国人の方40名)が集った。
私の出た「グローバリズムとリージヨナリズム」の演習には24名が参加。演習中は、すべて英語でディスカッションが行われた。

驚いたのは、2名の指導教授はもちろんのこと、参加者の半数以上の方が、ほぼ完壁な英語を駆使し、自分の思うことを思うだけ表現でき堂々と議論ができるということであった。

私を含め残りの方はどうかというと、そこで行われる議論の大半は聞き取れるが、いざ自分の発言となると、思ったことの5分の1も言えず、5分も経つとしどろもどろになっていた。
この差はどこから出てくるか。メンバー全員に聞いてみたら面白いことが判った。

よく自己表現できるグループは、半年以上、正規の留学をしていた。
聞き取りまではよくできるが、よく話せないグループは半年以上の留学がなかったようだ。

早急かも知れないが、ここから推測できることがある。

もし英語のよい使い手になりたかったら、いくら日本で日本人から熱心に英語を日本語で教わっても一向に自己表現能力は身につかないので、せめて半年以上、日本人の余りいない学校に入り英語のみの生活を送り、どんどん英語で表現する以外にない、ということだ。





②それにしても、今の学生はよく勉強する。
事前に、とはいってもわずか一週間前に送られてきた合計100ページにも及ぶ、
同一テーマでの昨年度日本で出版された、
最高レベルであろうと思われるフォーマル・イングリッシュと専門用語だらけの英語の論文を、ほぼ全員が読了済であった。

1ヵ月余り前に参加申し込みをした時点から、図書館にこもり、自ら選択したテーマについて研究したり、ゼミの先生をつかまえて、不明なところを質問攻めにした学生も多いと聞き及んだ。

特に、女子学生は熱心で、全体討論の際にも、マイクを握りしめ熱心に、かつ理路整然と、わかりやすく、ウイットに豊んだ議論を、正確な英語で展開する人が多かった。





③私自身、10月から毎週土曜日は上智大学の社会人コースに通い、国際関係の勉強をさせていただいていることは先月号の「みにむ」にも書かせていただいた。

休み時間に学生食堂(カフェテリア)に行くと、かなりの学生が英語の新聞や雑誌を熱心に読んでいる姿を目にする。
数多くいる外国からの先生方や留学生と、何のてらいもなく、英語で議論しつづける光景も日常的に見られる。

授業の準備にも熱心で、よく予習して出席している。
勉強内容の理解も深まり、試験の準備もかなり前から行うので、よい内容の答案が多いと知り合いになった先生方から聞き及ぶ。




④この「みにむ」をお読みの皆様は、社会人の方々が多いと思われるので、余りお気付きにならない方が多いと思うが、現代の学生は、10年、20年前の学生と比べ、はるかに熱心に勉強に励み、
確実にまた、英語を充分に身につけている
(ちなみに、開倫塾には現在、中学3年生が650名余り在籍しており、実用英語検定3級にはそのうち250名が合格している。準2級合格もその10%以上存在する。
開倫塾を始めさせていただいた18年前には考えられない優秀さである。
30年前は、英検3級合格は各中学校で合計10名はいなかったと記憶している。
大学生のみならず、中学生も20~30年前の学生に比べはるかによく勉強しているといえる。)




⑤日本は憲法第九条に守られて、徴兵制がない。
学校を終った学生が、一瞬間も軍隊に行くことなく、卒業の翌月から仕事に就くことができる、世界でも希有な国である。
その学生のレベルは、今までの日本の歴史上最高であると私は思う。

そこで、私を含め社会人の義務は、そのような第二次大戦の惨禍の結果得られた平和憲法のお陰で1日も軍隊に行かずに済んだ最高レベルの学生に、いかに生き生きと働く環境を提供できるかということだ。
彼らが自分で選んだ職業に誇りを持ち、生き甲斐をもって伸び伸びと働き、生活する環境を整備することが彼らを迎えることではないかと思う。

そんな基本的な作業もしないで、自分が65才を過ぎたから、若者よもっと働いて自分たちの面倒をみよ、と20年後、30年後に言っても、「あなた達はちゃんと私達を社会に迎えてくれましたか」と「不作為責任」(何もしなかったことに対する責任)を問われるのみだ。




⑥前書きが長くなって恐縮だが、ミニ・ミニ・シンク・タンク「開倫総合研究所」は、開倫塾創設20年を2年後に迎えるにあたって、今まで地域の皆様にお世話になったせめてもの恩返しとして、日本の歴史上最も立派に育ってきつつある現代の学生を、心温かく社会人として迎えられるような環境を整備するための、基礎的な研究を行うべく、昨年暮に静かに発足させていただいた。

人間のやることなので、どこまでできるか判らないが、コツコツと、できるだけ地道に基礎的な研究作業を行っていきたいと思う。