1.最近、成人向けの高校教科書が書店に並んでいる。
高校の教科書を若干加工して、成人の教養書として販売しているのである。
日本史や世界史、政治・経済、数学などの教科書が多い。
成人が復習するためであろうが、学習を楽しむためでもある。
2.そういえば、以前、高齢者が孫の教科書を楽しそうに読む姿を見掛けたことがある。
孫に教えるためではなく、面白いから読んでいるのだと言うのである。
自分が中学校の時によく分からなかったことが、今だとよく理解できるから楽しいと言う。
筆者も、中学生や高校生の時代に古典を読んで、何がよいのかさっぱり理解できないまま、内容を覚えた経験がある。
しかし、今になって「論語」や「孟子」を改めて読むと、確かに面白い。
数学などの自然科学分野の教科書も読み返すと、青年期とは違う分かり方ができる。
このことは一般化できる傾向であろう。
3.それでは、なぜ、年を重ねてから教科書を読むと面白いのだろうか。
経験を積むと、物事の具体的認識が豊富かつ多様になり、教科書に書かれた抽象的な内容が具体化できるようになるからである。
古典の文法や数学の公式などを自分の経験に引き付けて、具体的に認識できるのである。
例えば、「1 兆円で何が買えるか」という問いに対して、すぐに答えられる人はほとんどいない。
1兆円を見たことも、使ったこともないため、具体的認識に落とせないからである。
しかし、1000円で買えるものであれば、すぐに答えられる。
1000 円は日常生活で頻繁に見ているし、使ってもいるので、瞬時に具体的認識に引き付けられるからである。
4.石川啄木の歌集「一握の砂」に、「たはむれに母を背負ひてそのあまり軽さに泣きて三歩あゆまず」という有名な一首がある。
この短歌が言わんとすることとその味わいは、老いた親を持つ経験がなければ到底理解できないであろう。
要するに、年齢を重ねると、分からなかったことが分かるようになり、理解が深まるのである。
---続く
p.s
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